安城です。
この度は「演劇の役割」について少しだけ語りたいなと思います。
これから語ることは「それが絶対」という主張ではなく、「そういう考えもありますよね」的な内容です。
東京に来て「演劇」というものに物凄い幅があることに驚きました。それまで僕は、演繹は劇団四季とか能狂言とか大衆演劇とか歌舞伎のようなもので、身近な映画やテレビドラマとは全く異なった「お堅い」ものだと思っていました。
それがどうでしょう。今僕は「映画のような演劇」を目指しています。
そこで、なぜ僕がそのような演劇を目指しているか、が今回の本題です。
演劇の世界に足を突っ込んでかれこれ四年になります。そして、演劇に携わる中で「演劇は人生を豊かにする」ということを知りました。これまで様々な場所で様々な形でその現場に居合わせました。
まず四年前に僕は関西の小さな劇団(便宜上劇団という呼びます)に入りました。大衆演劇や歌謡ショー、コントやダンスなど多様な表現をする団体でした。お客さんは地元の方々で特にご年輩方々だったのですが、みんなその公演を楽しみにしていて、笑って泣いて、そして元気になって帰っていきました。僕は、「演劇」が人の生活の一部になっていて、さらに欠かせないものであることの実感をこの時得ました。
また、演劇が欠かせないのは演者にとっても同じでした。具体的な部分は割愛しますが、演者たちはそれまで色々なものを抱えながらも「演劇」という場所に出てきたことによって、成長し、新しい人生を歩んでいくのです。
演劇というのは「演者にとっても、お客様にとっても必要でさらに人生を豊かにする力を持っている」ということを僕はそこで学ぶことができました。
僕は、本当に幸せなことに、関西の小さな劇団で、演劇の本質もしくは原則を学んぶことができたのです。
今、僕は東京で「プロ」として演劇に携わっています。(「プロ」の定義にもよりますが、俳優と文書で出演契約を交わした上で出演してもらい、お客様から3,000円のチケット代を頂いて芝居をしているわけですから少なくとも自分の認識ではプロです。)
当然、ビジネスですから、興行的な成功を常に考えます。どうすれば世間にウケる商品が作れるか、どうすればより多くの人の目に触れることができるかなど。
でもそれでも僕は、もしかすると一生、先ほどの「原則」から離れることはできないかもしれません。
例えビジネスだろうと、趣味性の強い演劇だろうと、「何のため」にそれをやるのかという原則は絶対に必要だと思っています。
そして、僕にとってその原則は演劇の一つの本質である「人生を豊かにすること」なのです。
さらにその形が、「普遍的な内容を「映画」のような自然な演技で表現し、観客に疑似体験して頂くこと。
それによって「せわしない日常生活の中で見逃しがちなあらゆる重要な事に対して、一度立ち止まり見直して頂く機会を提供すること」なのです。
「目の前で疑似体験する」という機会はどんな論文もどんな自己啓発本もどんな映画もどんな美しい小説にもかえられないものだと信じています。
さらに、他人の人生を経験し演じるという過程は俳優にとってもかけがえなのないものです。また多くの仲間とそれを力を合わせて作り上げ、感動を共有し、そして別れる。これはプロもアマも関係ありません!
演劇には人間の人生を豊かにするために必要なことがたっくさん詰まっているのです。
僕は、例えどんな形であろうと、ビジネスだろうが趣味だろうがなんだろうが、この本質と原則を忘れることはないと思います。
以上
毎度作文が下手で恐縮です。
ありがとうございました!
あんじょう